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⑤近世日本の男女 〜大奥という働く女性の拠り所〜



この記事では「働く女性とジェンダー」をテーマとした新作ミュージカル脚本執筆に向けて、ジェンダー格差について私が調べたことを簡潔にまとめています。

今回は近世日本の男女とジェンダー格差についてみていきたいと思います。

近世とは江戸時代を指します。今回は江戸時代の中でも将軍や大名の妻たちが暮らした大奥・奥に着目した記事をお届けします。


【前回までの記事】

①「古代日本の男女 〜ジェンダー格差の始まり〜」はこちらから。

②「中世前期日本の男女 〜固定観念的「女性の幸せ」の萌芽〜」はこちらから。

③「中世後期日本の男女 〜性的に消費されはじめる女性たち〜」こちらから。

④「近世日本の男女 〜従属させられた女性たち〜」こちらから。




前回の記事「近世日本の男女 〜従属させられた女性たち〜」にて、江戸時代の女性の出世ルートは大きく以下の4つあることを書きました。


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低い身分の場合

①遊女となり地位の高い男性からの身請けを狙うルート


中位の身分の場合(上層町娘や豪農の娘)

②大奥(江戸城)や奥(諸藩の城)に奉公にでて、行儀見習いとして勤め、数年で親元に帰って良縁を得るルート


高い身分の場合(武家の娘)

③大奥や奥の中でキャリアを積んで、当時のキャリアウーマンとして高い地位に上り詰めるルート

④将軍の子供(女性<男子)を産み母となるルート

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江戸時代は男性社会システムによって運営される時代で、女性の出世ルートも多くが身分の高い男性との婚姻によるものです。しかしながら、ひとつだけ毛色の違うルートがあります。それが③「大奥や奥の中でキャリアを積んで、当時のキャリアウーマンとして高い地位に上り詰めるルート」です。


女性の園と言われる大奥や奥とはどんな場所でそこで働く女性にはどんな役割が与えられていたのでしょうか。



表と奥


”17世紀初頭に成立した幕藩体制と呼ばれる日本近世の政治システムでは、幕府においても藩においても、将軍・藩主をはじめ家臣にいたるまで、男性の当主によって代表され、男性中心の政治が行われて(*2)”きました。


簡単に言ってしまえば、表とは「政治の場」であり、奥とは「家の中のこと、家族のこと」をする場所で、お城や住居の構造自体も「表の空間」と「奥の空間」が分けられていました。


「表の空間」が男性の空間で、「奥の空間」が女性の空間となっていましたが、女性は表の空間に立ち入ること、そして表で行われる政治に口出しすることが厳しく制限されました。


よく知られていることですが、妻を「奥様」と呼ぶ理由は、大名の妻の部屋が屋敷の「奥」にあったからです。




女性のキャリアアップシステムがあった大奥


大奥とは江戸城にある将軍の妻子が住む「奥」のことを指します。

大奥は二代将軍徳川秀忠の時代に将軍以外の男人禁制の場となり、「江戸幕府将軍の世継ぎとなる、血のつながった男子をもうけること」を目的に運営されることとなりました。


男人禁制なので、そこで働く人はほぼ女性に限られました。多い時には2000〜3000人の女中がいたと言われています。


つまり、将軍以外の男性を入れないルールによって、結果的に巨大な女性組織が生まれることになったのです。


武家の子女だけで賄える人数ではなかったので、女性労働者需要が生まれ、”大奥に出入りする商人の口利きや、仕事の斡旋を業務とする人宿を通して、江戸の街や近郊農村の子女たちが年季奉公で雇用され、将軍家の暮らしを支えるために協働して(*2)”いました。


”江戸城大奥は、女性の昇進や出世を遂げる可能性を開き、身分を超えて協働する経験をもたらした職場であったことは注視すべき(*2)”ことです。


大奥には個人の力量と努力で職階を上がれるキャリアアップのシステムがあり、「③大奥や奥の中でキャリアを積んで、当時のキャリアウーマンとして高い地位に上り詰めるルート」は主に公家と幕臣を出自とする女性に用意されたものでした。


しかし、町人や農民の娘たちも高い地位ではないが大奥に職を得る道を開かれ、御目見以下の職階で昇進していた例もあります。



【トピックス】

農村出身、関口千恵の大奥奉公


奥奉公の経験は、「②大奥(江戸城)や奥(諸藩の城)に奉公にでて、行儀見習いとして勤め、数年で親元に帰って良縁を得るルート」として花嫁修行と位置づける人たちもいました。


そんな中で、生麦村出身の関口千恵は、強い意志を持って武家や大奥で奉公をつづけた女性です。


大奥の女中には、幕府から直接給金を支給される直参の女中と、その女中が自身の給金で召し抱える部屋方の女中がいます。

直参の女中は、原則として公家や武家の娘を雇い入れていたため、農村出身の女性が方向できたのは、下級の奥女中か、上級女中の部屋方かでした。


2度の武家奉公と2度の離婚を経て、実家に帰るようにと言う父の説得を振り切った千恵は32歳で大奥に奉公に入りました。

働きぶりを認められた千恵は中臈お美代の方に雇われて部屋方として大奥で11年間勤めます。

退職後は実家で暮らしましたが、44歳で再び上がった縁談を断り、たびたびある大奥からの呼び出し応じて、69歳の生涯を終えるまで大奥と交流しました。


そもそも家同士の縁がなければ、女性が一人で生きていくことはできない時代でしたが、父や夫に頼り切りにならずに、千恵が生きることができたのは、「大奥」という仕組みがあったからではないかと思われます。




政治や経済と切っても切り離せなかった女性たちの役割


「表に口を出すな」と厳しく制限をかけられた奥の女性たちではありましたが、女性たちが公的・政治的に重要な役割を担う側面がありました。

幕藩体制において、将軍家や大名家の家督を誰に相続させるか、婚姻、出産、喪葬、法事などは重要な公的儀礼として位置づけられていました。これらは「家の中のこと、家族のこと」であり、奥の女性たち抜きでは取り仕切ることができませんでした。


つまり、幕藩体制とは、表と奥が一つになった大きな政治システムであり、将軍・大名の妻子とそこに仕える女中衆など一部の女性たちはこのシステムの中に構造的に組み込まれていたのです。


表の「老中」に対して、奥には「老女」という同格の地位があり、「老中」に対して「老女」が物を言った事例や、「老女」が怖くて逆らえないという逸話が残っていたりします。


また、幕末の無血開城については勝海舟と西郷隆盛の会談が有名ですが、その会談が成立したのは、天璋院篤姫や静観院和宮が裏で必死に政治的交渉にあたっていたからです。


奥女中・大奥女中のネットワークが男たちの商売を繁盛させるためのルートとして機能していたこともわかっています。

大奥や奥という、着物やお菓子、贅沢品などの最大消費需要の場が女性たちによって担われていたため、娘や縁のある子女を奥女中に入れるということは、それが御縁となって「御用」をいただける可能性を意味しました。




家にとっても利用価値が高かった奥奉公


大奥や奥に娘を奉公に出せば、数年後に良縁に恵まれるかもしれないし、家業の商売繁盛につながるかもしれない、何かの間違いでお手つきになることもあり得るかもしれない。


ということで、奥奉公は利用価値が高く、社会的上昇のために活用しないてはないと、新規参入者が殺到したそうです。


芸事に秀でたものが女中として採用されたため、芸事の価値が上がり、娘にはまず三味線を習わせよという風習が生まれます。


親は娘に、浄瑠璃やお琴、三味線、鼓弓、踊り狂言などを習わせるために、かつて大奥に勤めた女性の師匠を雇うこともありました。


これらによって「芸事の師匠」という新たな仕事が生まれ、女性が男性に頼らずに生きることが可能になり始めていました。




女の再教育


女性が男性に物を言うようになり、女性が社会で生き生きと活動をし始めると、規制が始まります。


女性たちは漢語を読むことも書くことも禁止されていたので、奥の女性たちの楽しみは、

かなで書かれた「源氏物語」や「伊勢物語」といった文学でした。中には専門家のように知識があるものもいたそうです。


しかし、幕末になるとそんな女性たちは「作り話」のようなお遊びのような文章ばかり読んでいて学がない、と言われたり、


「浄瑠璃やお琴、三味線、鼓弓、踊り狂言」は遊女がやることで淫情の芸だというものもいました。


これらは、江戸女性文化の華やぎへの反発・反動と言えます。


そして、芸事に勤しむ江戸の女性を非難し、女子を再教育によって学を与えることで、賢い妻、賢い母にしようという幕末の「賢婦賢母」論に繋がっていきます。


しかし、これらは決して女性の自立を目指したものではなく、男性のサポート、息子のサポートをさせるための取り組みでした。




今回のまとめ


・江戸時代の幕藩体制は、男性中心の社会であったが、「奥」と言う男人禁制の特殊空間が「女性が活躍する場所」を生み出した


・もともとは、武家の子女を雇用する場だったが、人手が足りず商人の娘や近隣農村の娘も働くようになったため、さまざまな身分の女性たちが同じ場所で働く稀有な空間となった


・「奥」にで働くメリットは多く、新規参入者が殺到し、通行手形とも言える芸事の価値が高くなった


・「奥」を通して自立する女性が増えると、批判の声が大きくなり、奥女中を卑猥な描写で描く芸術が生まれ、彼女たちが勤しむ芸事そのものが淫情の芸と言われるようになった


・幕末になると、女子を再教育して「賢婦賢母」にしようという動きが始まった



以上が、「近世日本の男女 〜大奥という働く女性の拠り所〜」でした。


この記事は、主に以下の本を参考に書いています。直接引用した分には(*1)(*2)(*3)を記載しています。

・大槻書店「歴史を読み替える ジェンダーから見た日本史」久留島典子・長野ひろ子・長志珠絵編(*1)

・企画展示「性差の日本史2020」国立歴史博物館2020(*2)

・東京大学出版会「御一新とジェンダー」関口すみ子(*3)



【この記事について創造妄想トークをしているPodcastは以下のリンクから聞けます!】




【働く女性とジェンダー格差をテーマにした

 新作ミュージカル「最果てのミューズ(仮)」

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